11月 教会長説法

会長先生が法燈継承されてから20年、その時の会長先生のお言葉が、“皆一緒に横一列に並んで前進して、精進して参りましょうと云うお言葉だったと思うのです。

開祖さまは、人間を救える道はないかと模索を続けて、法華経という完全無欠の真理に出会い、これこそ求めていたものだと感激し所依の経典と定められたのです。

法華経の第1番は仏様、法を強く求める心、第2番は仏様にお任せする心、3番目は慈悲心です。人のためになる行為、人を幸せにする行為、一人ひとりが出来る菩薩行をやってみる事、こういう事が会長先生のお言葉、心田を耕す中身です。

人間には本来、どんな困難も乗り越え、解決していく力が具わっている。日々実践を通してそれを会得し、心身の救いを得るのが仏教であり佼成会の教えでもある。他の誰かに救ってもらうのではなく、問題解決は自分にかかっているのですが、では、どのようになると私達は救われるのでしょうか。そのことを端的に示す言葉が「心田を耕す」です。

驕ることなく慢心することなく、謙虚に生きる日々この事を忘れず、身の振る舞い、言葉の使い方、心のありよう、こういと行動を律するならば、とかく自己中心のわがままに頑なになりがちな心を柔軟に保てるのではないでしょうか

ただ人間の貪り、怒り、愚かさといったいわば雑草は、いくら刈り取っても次から次へとはびこるものです。24時間人様の為に布施行をさせてもらえば、自然と雑草は生えてこなくなってくるのです。それをいちいち刈り取るとなると大変なエネルギーが必要です。むしろ、その雑草も土と一緒にすきこんで耕し、それを養分にする醍醐味ではないかと思うのです。

普通の親は、角がある人間をあれがだめ、これがだめと言って角を取って丸くしようとするのです。佼成会の教えは、功徳を積んで足していきなさい。すると角が無くなるよ、という教えなのです。それをいちいち刈り取るとなると大変なエネルギーが必要です。むしろ、小さな徳を積んで心田を耕して、足して足して大きな器を作るのが佼成会の教えなのです。まさに煩悩即菩提で、心田にはびこる雑草をも精進のエネルギーに変え、あるいは利他の行いに振り向けて、皆共に仏道を歩んで参りたいものです。

今月の心田を耕すポイントとしては、常に求め、仏様の教えに沿って行く、仏様が作って下さるのではなく、自分自身が本気になって願いを持って、日々の努力をして願いを叶えていくのです。