6月 朔日参り(布薩の日)

高野 女布地区

高野 女布地区

 田んぼに植えられた稲も日毎に成長して風景はきれいな緑の彩りです。
季節は梅雨を迎えようとしている今日この頃ですがみなさま、お元気にお過ごしでしょうか?

 今月の奉書の言葉を教会長より下記のようにお示しいただきました。

今月の会長先生ご法話からのポスター

教会長の説法では

 会長先生が、今日もお元気でありがたいお言葉を沢山くださいました。
先生の願っておられることの中に、私たちの日々の幸せがあります。
何よりも大事なことは、信者さん一人ひとりの心が健やかで、どんな問題が起きてもどのように受けとめるかということです。

 ご法をいただいている私たちは、日頃からの関わり方が大事です。
それは人のせいにしないという自分のありようで、すべてが自分と受けとめることです。
頼まれないとしない人 — それは開祖さまの教えと違うと思うのです。
自分で考えて — 頭を使うとは、心を使うことで、心を使えないことがすべてを決めていくということです。
 例えば、仕事で機械を直す時、相手と一緒に仕事をするときは、よく観ていて作業しやすいように次を考えることです。作業する順序が分かっていると、作業ははかどるし、丁寧に出来るし、一緒に仕事をする相手にも、今これをやっているけど次はこの道具と分かるから、喜んでもらえるし、又そういう気持ちになると学べるんです。
 何を聞かれても応えられる人になるために、勉強する「つまり努力することが大事」です。
佼成会で教えていただいていることは、努力すること「つまりはそれが修行」です。

修行とは「善いことを、まごころ込めて、くり返すこと」と教えていただいています。

 今、素晴らしい会社に勤めて、素晴らしい仕事をしている人は、そこで甘えているようではいけないのです。自分なりに工夫して勉強して上を目指すことを努力していく。今勤めている会社はどういうことが仕事の主たるものか等を考えて心がけていくことです。

会長先生が佼成6月号 P13で
「どれほど学んでも上限のない教えと受けとめて心を耕しつつ、学んだことを日々に実践する。それが、私たちを安穏に導く精進だと思うのです。
 宗教は身をもってする行為に具体的にあらわれてこそ意味がありますから、やさしさや思いやり、明るくあたたかな応対など、学んだ教えを日常の所作一つ一つに生かすことが精進となり、そうした一瞬一瞬の積み重ねが心やすらかな日々をもたらすのです。
 ただ、「学んだ教えを」といっても、何を心にとめて日々の実践につなげればいいのかに迷う人がいるかもしれません。私は、理想とする人や「このように生きたい」「こうありたい」との「志」によって、ひとそれぞれの精進があるのではないかと思っています。」
と教えてくださっています。

 日頃の学校とか会社などで学んでいることや自分の業務など、すべてが努力したら色んなことが身につくし貢献できるので素晴しいことになるのです。

今年は50周年の年回りの舞鶴教会ですから、お互いさまそれぞれの支部の支部長さん、先輩さん方が何もない中、築き上げてくださって今日があります。どこの支部においても、先輩の後を継いで大いに地域に貢献出来るような取り組みができるように工夫しながら取り組んで行ければと思います。

一番ありがたいことは、すべて支部長さんや部長さんに任せていること、好きにやりなさい、って任せられることです。

それぞれの支部の個性とか持ち味を発揮して色々やってみるといいです。

あまり難しく考えないで、皆が嬉しいと思うことをさせていただきながら、その中に学ぶ機会を入れながら各支部の50周年をしていけばありがたくなります。

と教えていただきました。

💖各支部でさせていただく「50周年の集い」と、10月20日教会でさせていただく「教会発足50周年式典」ではすべての会員さんと繋がろう、新しい婦人部さん各地区1人50人で奉献をさせていただこうと言うことでお手取りに励ませていただいております。
 6月16日(日)は婦人部の水子供養がありました。

毎年一回、この月の水子供養は命の尊さと生かされている今に感謝出来、普段見逃してしまいそうな当たり前のことが心からありがたいと思えます。ずっと繋がっている、婦人部さん方が主になってされる水子供養を通して、舞鶴教会50周年にみなさんの尊いご縁が繋がり、広がっていくように念じて真心込めてさせていただきました。

合掌

生け花