お彼岸には両親やおじいさんおばあさんや、ご先祖さまやご縁の方々を偲び、
連綿と命をつないで頂いたことに真心から感謝を捧げ、支部ごとに主任さんを中心に地区で開催させて頂き、教会全体では42会場、地区皆さん相和し、ご供養をさせて頂きました。
手作りのおはぎやお寿司、お孫さんがしおりを作られたり、たくさんのまごころであふれていました。
開祖さまは、秋の彼岸会に寄せて、次のようなご法話をくださっています。
彼岸会は、聖徳太子の時代に始まったとされていますが、ともあれ、昼夜の時間を同じくする春秋二回の好季節に、一般民衆がこぞって仏道への思いを新たにし、精進をされる機会が設けられたのは、じつにすばらしいことだと思います。
秋の彼岸会は、涼風が立って身も心も引き締まるころに行われます。これまで海へ出かけたり、山へ登ったりしてエネルギーを外へ外へと発散させていたのが、ここで一転し、精神的な充実や魂の喜びを求めて家へ家へと鎮潜していくようになります。
そうした時期に秋のお彼岸がありますので、いわゆる信仰者でない人も、厳かな読経の声を聞いたり、お墓の前で手を合わせたりしますと、いつもは経験することのない、何ともいえぬ心の安らぎを覚えます。そして、日ごろ煩悩のおもむくままに行動し、喜怒哀楽に押し流されつつ生活していたことの空しさにフト気がつき、仏教書でも読んでみようかな……というような気持を起こすのです。ましてや、ほんとうの信仰者ならば、これを機として日ごろの懈怠を反省し、
新しい精進を決意するのが自然の成り行きであって、秋の彼岸会はこういう厳粛な意義を持っているものと信じます。(開祖さまご法話『佼成』昭和49年9月号)
お釈迦さまは悟りを開かれたとき「不思議だ、この世のすべての衆生は、みな、仏と同じ智慧をそなえている。ただ、さまざまな妄想にふけり、自分の欲に span>執着しているために、そのことに気づけないのだ」とおっしゃいました。
その妄想、執着、自己中心の心の(此岸)から仏の智慧に沿って考え行動でき(彼岸)に渡る道が波羅蜜で、その道とは布施から始まる六波羅蜜の教えを実践することです。
そして、親切心を膨らませていくと常に人さまの幸せを願えるようになっていき「人さまのこと、人さまのこと」と心を配っていくと、自然に自分が幸せになっているのです。
そして、何よりもご先祖さまが私たちに望んでいることは、家族が仲良くし、周りの人たちと調和して生きることです。それは、慈悲行、菩薩行の出来る人間に、私たちがならせていただくことともいえます。
秋季彼岸会のご供養を通して、さらなる精進をお誓いし、ご先祖さまから連綿と続くいのちの流れのなかにいる私たちです。ご先祖さまに感謝の祈りを捧げ、かけがえのない尊いいのちを輝かせていきましょう。と、皆さんと誓い合う事が出来ました。
そして、すぐそこまで来た10月20日舞鶴教会発足45周年に向けて、一人ひとりご縁のかた全員とお出会いさせていただき、救われた悦びを語り合い有り難い45周年を迎えさせて頂きましょう。 合掌