日にち ありがとうございます。
出番を待ちわびた、つくしたちが順々に顔を出し、春を感じさせてくれてます
皆さん、お変わりないでしょうか。
新型コロナウィルスが早期に収束になるよう舞鶴教会でも心一つに、祈願供養をさせていただいております。また、出会えないからこそ、あの人、どうされているかな?大丈夫かな、会えなくて寂しいな。。など、あらためて、当たり前になっていた日常や、まわりの方々への感謝を深くさせていただいています。
今回の仏さまのお手配を教会長さんから、対面なしで功徳を味わえるチャンスと教え頂きました。すべての会員さんや日ごろご縁になれていない方にも、電話やメールで繋がり、安否確認だけに終わらず、布施行の身施→「自分の骨折りによって他人の心配や苦労を少なくして差し上げること」
その事を沢山の人にさせていただくことが大切と、教えて頂きました。
また「マスクはあるの?お米は・トイレットペーパーは・野菜は?」等々、具体的に心配させて頂くと、声をかけてもらった人は、分かってくれるだけで心がスーと楽になる
一緒に悩んで分かち合うことが、心配や苦労を少なくしてあげることの身施と教えて頂き、安否確認だけに留まらず、対面しない布教の中で自他共に功徳を頂けるような具体的実践をさせていただきたいと思います。
今月は創立の月を迎え、会長先生より「満足できる幸せ」とご法話頂きました。
🔹欲をはなれると
何ごとにつけ、ほどほどのところで満足できると 思いやりの行動があらわれる
欲の皮が張っていると、人は、人として歩むべき道をいつしか見失ってしまいます。ところが、何ごとにつけ、ほどほどのところで満足できる人は、人のことを考えるゆとりもありますから、たとえば好物が手に入っても「一人で食べてはもったいない。人にも分けてあげよう」という気持ちが自然に湧いてきます。そもそも、ほどほどをわきまえている人にとって、必要以上のものは欲しないといえましょう。そうした人間らしい思慮や、他を思いやる気持ちが行動となってあらわれることを、脇祖さまは「欲をはなれると徳がくる」といったのだと思います。それは、人間がもともともっている徳分が、自然に滲み出るということです。と教えて頂きました。
今の現状であるマスク・トイレットペーパー・ティシュ等品切れも「自分だけ余分に買ってはいけない、一人でも他の人にも残しておこう」と、菩薩の心で一人でも多くの人が他を思いやれば、不自由な思いをする人も少なくなるのでは😂
まさに今、このご法話如くに他を思いやり、まず人さまと、行動させて頂く事だと思わせて頂きました。
🔹感謝こそ
欲を少なくして足るを知り感謝のうちに暮らす
教会長さんから、開祖さまのご法話から
「どんな不幸、不運に見舞われてもくじけず、どんな難問題に遭っても正しく克服できる心の力を育成する努力こそが、修行にほかならないのであります。
この努力を積み重ねていけば、心の力は、少しづつでも向上していきます。修行には、善いことを、心をこめて、繰り返す、という三要素が絶対に必要で、とにかく、修行に励みなさい(中略)そうしていると、必ず、「自分は仏さまの大いなるいのちに生かされているのだ」という信念が、次第次第に心に定着していきます。それでもまだ、アヤフヤだと感ずる人は、事あるごとに、おりに触れて「自分は仏さまの大いなるいのちに生かされているのだ」と心のなかに唱えなさい。一日に十遍でも、百遍でも、思い出すごとに唱えるのです。
それを続けていますと、不思議なことが起こってきます。人々が欲にとらわれて血眼になっているのに、もろもろの欲に対して恬淡になってきます。人々が恐れおののくものに対して、一向に恐れを感じなくなります。人々が腹を立ててわめき散らすような物事に対しても、静かに笑って受けとめられるようになります。」(開祖さま法話選集3巻178~)「恬安憺怕に無為無欲なり」(三部経P2)と教えて頂き、なかなか執着や我欲から離れられない私も、そうか!よし、修行に励もう
どんな人、どんな状態でも少欲知足を忘れず、自分のものの見方、考え方を仏さまの見方に近づけるような日々の修行の積み重ね、まず朝夕のご供養、日にちの生活を整え、親切行が大事だと思わせて頂きました(-_-)
また、支部長さんの説法の中で、3月1日より宿直もお休みの為、毎朝宿直さんが仏さまや道場を整えて下さってた事を自分たちが当番や式典前にさせていただく事になり、改めて心の底から宿直の方に感謝の念が深まったとお話されました。
最後に、会長先生から、「生きていくなかで、授かったすべてに合掌するーーそこに感謝と喜びがありほんとうの満足と幸せがあるのです」と 教えていただきました。創立の月に、会長先生は、授かったすべてに合掌できる私たちになるようにと、願って下さっている…そうなりたい。と、思わせて頂きました。
また、教会長さんは、会長先生から教えて頂いている、いま、私たちがすでに頂いている幸せに気づき、「ありがとう」と感謝の心で受けとること、自分がすでに浴している恩恵に気づくことが本質的な救いですと、教えて下さり、10の内、9つ足りているのに1つの不足にばかりに文句を言う私を振り返り、どんな状況になっても不満で暮らすのか、感謝に変えて暮らすのかは、自分次第なんだと気づかせて頂き、皆さまと共に、法華経の教えを学ばせて頂いてることを本当に有り難く思います。
学ばせて頂いて実践を繰り返す中で、感謝の心を大きく育てていけるよう精進させていただきます。合掌