戦争犠牲者慰霊・平和祈願の日式典 令和2年8月15日


 戦後75周年に当たる令和2815日。今年も戦争で犠牲になられた全世界の多くの方々に回向の供養を捧げ、二度と戦争はしない、平和な世界をつくりあげていきますとお誓いする日がやってまいりました。

かんばん
舞鶴教会では、戦争で尊い命を犠牲にされた多くの御霊の礎の上に、今日、このように平和な社会の中で命をいただいていることへの感謝の気持ちを込め、心からの奉膳、お供え物、色とりどりのお花を供えさせていただきました。

ごくよう
 ご本部、光祥さまのご導師に合わせて、青壮年がお役をつとめて読経供養させていただき、戦争で犠牲となられた方々のご冥福を祈ると共に、今、私たちが幸せな生活を送らせていただいていることに深く感謝し、次世代により安心・安全で幸せな社会を引き継いでいけるよう、平和で調和のある世界の実現に向けての精進をお誓いさせていただきました。

 

教会長さんの説法では、「佼成8月号」の「師の言葉をたどる—法話に学ぶ『少欲知足』(P22・23)」に基づき、次のことを学ばせていただきました。

 

◎今日は、有り難く戦争犠牲者慰霊・平和祈願のご供養をさせていただき、また、感謝の心で、引き続き平和な国を、世界を築く歩みを始めていきましょうという日なのですけれども、ご宝前に美味しそうなものを、たくさんお給仕していただいて、ご供養できました。皆さん方が一生懸命、今日に向けて準備をしていただいて、本当にありがとうございました。

 

◎「苦労を心の垢のせず」 (「佼成8月号」のP23L3)とは、どういうことですか。

 会長先生は、よく、「子どもたちに泳ぐことを教えてあげないと、もう死ぬんだよ。だから立正佼成会の教えというのは、自分で泳げる人にならないとだめなんだ。法に照らし合わせて、考えられる人になるんだよ」と仰いました。それは、「自灯明、法灯明」ということです。法座に参加して善き友と交わり、教えに沿って、いかに自分が歩んでいくかということを学び合い、確認し合って、法を自分のものにして、いかに生きていくかを定めていくのが佼成会の僧伽です。

生活と教えがセット。どう求道して、自分の生き方を調えて、苦を乗り越えていくか。どんなことも求道して、本気になってやっていかないともったいない。

 

人それぞれに、家庭において、地域社会において、職場において役割がある。そこにこの教えを生かしていけば、より素晴らしい人生を切り拓いていけます。苦労が心の垢にならないで、いぶし銀の光を放つような、そういう何とも言えない重みのある器になっていったら尊いですね。

 

たくさんの方々がお国のために、戦争で犠牲になられた。その礎の上に、私たちはこうして在ります。私たちが、益々、平和な心をつくることに努力させていただいて、二度と戦争のない世の中をつくらないといけません。それには、この佼成8月号にあるように「驕り」が出てくるといけません。人間は、驕り高ぶったら、人のことよりも自分のことを優先してしまうところがあります。それを六道(地獄,餓鬼,畜生,修羅,人間,天上)と教わっているのですけれども、今日を機に、二度と争いを起こさない自分になっていくことを改めて、仏さま、ご先祖さまにお誓いさせていただいて、意義ある日にさせていただきたいと思います。

 

ユネスコ憲章の前文に「争いは、人の心より起こる。人の心の中に平和の砦を築かなければならない」とあります。我々の心の中には仏性がたくさん溢れるほどあるけれど、反面、六道も持ち合わせている私たちですから、私たち自身が、平和の心を優先して、拝んで、拝んで受け入れてあげる。怒り狂っている人でも、聖者の四界の方に心を収めていけるご縁を結ばせていただくことが、一番、心に平和の砦をつくる因になると思います。

 

コロナウィルス感染のことでも風評被害や差別するような行い(これも戦争の元になる心と同じなわけですから)をしないよう心掛けて、助け合って、この重大なときを乗り越えて、克服できるように助け合っていければと思います。お互いさま、努力精進させていただきましょう。

 

この式典を通して、本当に、今、コロナウィルス感染が広がる中、当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなく、今の平和が、多くの尊い犠牲となられた方々の御霊の礎の上にあることの重みを感じさせていただきました。そして、子や孫、さらにその先の子孫に平和な世界を引き継げるよう、自分にできることから、「即是道場」の心で、足元からこつこつとさせていただくことが大切だと思わせていただきました。      合掌