舞鶴教会では9月10日、脇祖さま報恩会式典をさせていただきました。ご宝前には各支部真心こもった手作りの奉膳や脇祖さまを習ってふかし芋やゆで玉子等々、真心込めて供えさせて頂きました。身命を惜しまず慈愛の心を身をもって実践し教え導いて下さった脇祖さまに心から感謝のご供養をさせていただきました🙏
脇祖さまの肉声で、『心が一番大切である。ものをあげる供養より、お経あげる供養より人さまを喜ばせて、「あの人は信仰者らしい」
「ただものではない」とほめられるようになって、初めて供養となる。それが先祖の成仏になり、私たちの成仏につながり幸せになれる。口も心も同じになって、心が行いと一つになったら、世の中は明るくなる。』というお言葉をいただき、生活の場で実践することの大切さを深く確認させて頂きました。
自分の身・口・意に教えを実践する姿でご法の証明役となり、家族やまわりの人から喜ばれる私にならせていただこう!と思わせていただきました。🎶
教会長さんの説法より
🔘今日のパンフレットに「唯我一人のみ能く救護を為す」とあるように、み仏さま開祖さま、脇祖さまのように、信者さんを見たらどうにかしてあげたい!それを一心に思って修行する事が大事⤴️
自分を優先するのでなく、「まず、人さま」→そうしていったら必ず、実る🙆
自分をからめると、なかなか思い切った行動ができない。
🔘親やまわりの方にお世話いただいたお陰さまで今の自分がある。因縁果報の法則通りに縁を大事にして育てて下さったお陰様で今がある。自分一人で成長しているのではない。会社へ行ったら上司がまだまだ半人前を受け入れて、日々育てて下さり少しづつ一人前になる。
諸法の実相というのは、多くの人のお世話をいただきながら、こうして生活ができるようになっていること。それに感謝して良いご縁を結ばせて頂く事を縁起の法則と教えていただいている。
🔘開祖さまご著書「人生、心がけ」P156『思い込みがこわい』の中でわずかな特徴をとらえ、それを自分の分類法に照らして「好き」と「嫌い」に分けてしまう。「いい人」「悪い人」と決めつけ、「自分にとって損だ」「得だ」と計算し、「役に立つもの」「役に立たないもの」とふるいにかけたりするのです。(中略)
それはつまり、自分の見方という色めがねをとおして、周りを見、判断してしまっているわけです。そして困ったことに、いちど「あの人は嫌いだ」と思ってしまうと、何もかもが悪く見えてきてしまうのです。
と、教えていただいてますが、正しい見方とは?
(1)真理に合った
(2)目的に合った
(3)調和のとれた
と、いつも教えていただいることを判断する前に、客観的に考えるだけでも、冷静になれるし、ものごとを間違いなく判断できるようになる。🙆⤴️
そして、さらに開祖さまは「正しい見方の正しいとは、片寄った見方をしないことです。表があれば必ず裏があることを知る。その両方を見なくては、ものごとを正しく見たとは言えません。」と、示して下さっています。
十円玉は丸い。でも、横から見れば長方形。斜めから見れば又、違う。
だから、自分のみの色めがねで判断しないことが大切。そして、ありのままにみるということ👀
家庭でいえば、自分だけの考えを押し付けないで奥さんの意見や子供の意見も聞いて見たり、最終的には自分が決めることになっても、みんなの意見を大事にできると協力して頂ける様になる。
と、教会長さんより、ものの見方や学ばせて頂く事の大切さを教えていただきました。
9月25日は、第26回勧請式を教会で迎えさせていただきます🙏 舞鶴教会では18家の方が拝受されます。このような尊く、ありがたいお手配をいただき、感謝と悦び一杯です。勧請式を迎えるにあたり、地区・支部・教会あげて一人一人が願い・実践・祈りを強く持ち、修行させていただいています🙆
開祖さま、脇祖さまが身命を惜しまず身を持って私達をお導き下さったように、「まず、人さま」の精神で布施行、導き、手取りに精進させていただき当日を迎えさせていただきましょう🙏