令和5年 成道会

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<壮年さん方が、教会の境内地の桜の木や会長先生お手植えの蘇鉄の木に、雪つりやコモまきをして冬を迎える準備をしてくださいました。>

 12月8日、成道会はお釈迦さまがインドのブッダガヤの菩提樹下で悟りを開かれ、その意義を深くかみしめ、私たち一人ひとりが、新たに菩薩行の精進をお誓いする日です。

舞鶴教会では、ご本部の式典と一緒に式典をさせていただきました。

今日の担当支部の支部長さんのかみしめより。

🔘日々に起こる色々なことを、仏さまが必要あって出して下さっている。これが「仏のはからい」と思えると、色々なことが見えてくる。そう見える自分づくりが難しい。自分の執着・妄想が勝ってしまい、何も見えなくなる。

 今日の本部説法の支部長さんのように、手術を要するのに、コロナかで手術の目途がつかないと言われてたのが、「自分の信仰がブレてないか」
「自分で生きているようだけど、仏さまに生かされているんだ」と心が変わった、その時に病院からキャンセルが出て1週間後に手術のお手配をいただかれた。自分の心が変わっただけで、仏さまから現象を頂いた。

いつも、一念三千と教えてもらってますが、自分の心次第で幸せにも不幸にもなる。イヤだと思えばイヤなことが、ありがたいと思えばありがたいことがかえってくる。すべてのことを仏さまの救いの働きとして取れる自分づくりが大切です。

 教務部長さんの説法では、平成8年12月こうせい開祖さまご法話「成道を目ざして」を拝読・かみしめて頂きました。

🔘お釈迦さまの悟りとは

「奇なるかな、奇なるかな。一切衆生ことごくみな、如来の智慧・特相を具有す。ただ妄想・執着あるを以ての故に証得せず」

仏の眼で見ると、すべての人間が、仏と同じように尊く、光り耀く本質をそなえているのです。ところが、私たちは、ものごとのうわべの姿や形だけを見て、それにとらわれたり、妄想にかられたりして争いや苦悩をくり返すばかりで、自分の本質が仏さまと同じように輝かしいものであることを悟れないのです。

🔘お釈迦さまは王位継承者としての地位や財産を捨て、父母や妻子との絆も断ち切って修行を続けられ、すべての人を生かしている真理を悟られました。「大きく抛つ者は、大きく得る」といいますが、お釈迦は、そうした大いなる放棄、つまりは徹底した布施によって、だれも得たことのない大いなる道を得られたのです。

私たちは、お釈迦さまのようにすべてを捨てる必要はありません。けれども、その精神と姿勢を受け継いで、できるかぎり、人さまのため、世のために自分をささげるように努力したいものです。それが、お釈迦さまが示された布施の教えの実践です。その意味での「放棄」が大きくなるほど、私たちの幸せも大きくなるのです。

🔘「まず人さま」の心で、常に人さまの幸せを念じて行動していけば、出て来る結果は、常に真理に合致していきます。よき出会いをくり返していくなかに、次々に喜びの結果が現われ、感謝の毎日が送れるわけです。

と、教えていただいているように、この教えを信じて行じて成道の道を歩くことを、今日の成道会を機縁として、新たに精進の目標とさせていただきます。

 と、お話いただきました。

 私も、「まず人さま」の心で人さまのため、世のために精進し、妄想・執着の垢を一つひとつ取り除き、成道を目ざして行きたいと思います🙏     合掌