第15回 戦争犠牲者慰霊平和祈願 引揚桟橋ご供養

80年前日本は敗戦し、終戦を迎えました。この8月は日本中が戦争について、そして平和について考え、思いを深め、二度と戦争をしないと誓う8月となりました。

 舞鶴教会でも8月11日には、平(たいら)引揚桟橋において青年部を中心に、多くの参拝者の方々と共にご供養をさせて頂きました。先の戦争で犠牲になられた方々や引揚者にまつわる一万六千二百余名の方々のお戒名を読み上げさせて頂き、法華経の読誦を通して真心からの回向供養を捧げさせて頂きました。

お供養をさせていただきながら、戦争で様々な思いをされて亡くなられた方々のことを思い、今、平和に日常生活を送らせていただいていることに感謝を新たにさせていただきました。

 聖壇のお役をされた青年さんからは、前日から雨の予報があり心配だったが、皆さまの祈りのお陰さまで何とか大降りにならずにもってくれた。このことから仏さまに護られていることを強く感じた。平和とは、先ず自分自身の心が平和でないといけない。すぐカッとなる自分の“性”を見つめて、感謝の気持ちを持つよう努め、平和な心を先ず自分からつくっていけるよう精進させていただきたい。また、後10年、15年経つと戦争経験者はほとんどいなくなる。今、私たちにできるのは 、その人たちの話を聞いて、伝えて、風化させずに残していくことなのだと思ったと発表がありました。

柴垣布教支援講師さんからは、平和への取り組みは、自分の懴悔から始まります。先ず、自分の心が平和であることが大切ですということと、嫌いな人を好きになるのは難しいけれど、その人を理解しようと努力することはできる。理解しようとすると心が開ける。心を開くことが大切。国と国とも同じことです。ロシアはなぜウクライナを攻めるのか。そこには深い因縁があるはずなのです。 家庭の中の平和、地域の平和、世界の平和の始まりは、私の心の中にある。今日のこの引揚桟橋ご供養というご縁によって、そういうアプローチを起すところから平和は広がっていくのだと思います。そういう平和を求めて教えを基に、お互いさま精進してまいりましょうと教えて頂きました。

 まず自分の心が平和であるように日々精進させて頂き、その姿を子や孫に見せて行けるよう努めて参りたいと思います。 合掌