開祖さまゆかりの地

開祖さまゆかりの地

立正佼成会の開祖 庭野日敬は舞鶴と深い縁があります。
まだ立正佼成会を立ち上げる前の青年期の事です。
大正15年、徴兵検査に合格した庭野開祖は、旧帝国海軍横須賀海兵団舞鶴練習部、現在の海上自衛隊舞鶴教育隊に入隊しました。
当時の庭野開祖は高等小学校以上(現在の中学校)がなる分隊の教班の級長を尋常小学校卒ながら拝命しました。

庭野開祖がまず心掛けたのは、骨が折れる仕事を自ら率先して行うことでした。
冬の時期に入隊したため、豪雪地帯である舞鶴での練習は、生まれ故郷の新潟県十日町よりはましだったものの、雪国出身でない教班員たちは寒さに苦しんでいました。
そんな中、庭野開祖はすべての仕事を一手に引き受け、二人前、三人前の働きをしました。

ある時、庭野開祖の教班に便所掃除の当番が回ってきました。
当時の小便所は昔の小学校にある石造りの長いもので、その石は多年の尿で茶色に変色していました。庭野開祖はその汚れを不快に感じ、真っ先に裸足で便所に入り、ブラシでゴシゴシとこすり始めました。
すると、教班の仲間も次々と参加し、徹底的に洗い上げ、茶色の石は見違えるほどきれいになりました。

副官が見回りに来て状況を確認し、庭野開祖が説明すると、その後庭野開祖の教班は半年間便所掃除を免除されました。
このように庭野開祖は、立正佼成会を設立する前から、人が嫌がることを率先して行うという教えをこの舞鶴の地で実践したのでした。

この便所は戦後、内部のみ近代化改修されましたが、外観は当時のままで使用され、2023年末に解体されました。このエピソードは庭野開祖の人柄を伝えるものとして語り継がれています。
※佼成出版社刊 「庭野日敬自伝 道を求めて七十年」より一部抜粋

庭野開祖も歩いた行進訓練用レーン
庭野開祖が掃除した便所(2013年)