佼成2月号  教会長法話

救いを求める人にとって目の前の苦を経験すれば、それは一つの生きる励みにはなるでしょうけれど速やかに仏さまの智慧を頂いて、仏さまの智慧にそった物の受け止め方とか行いが出来るように仏さまは願って下さっているわけだから、目の前の悩みを解決したからそれでいいとは、本来の仏さまが願っている本質的な救われではありません。

行方不明の方が帰ってこられたから良かった、良かったではよろしくないのです。そこから本質的な救いにしてあげられるよう慈悲掛けをしてあげなさいと、早速寒修行にお誘いしてあげなさいと申し上げたわけなのです。本質的な救いはとても大切な事なのです

佼成2月号の開祖法語録で、『佼成会員たるものは先ず家庭内の和楽ということを第一にすべきで、法華経思想の根本を理解し、仏教の本質的な救われ方を知る時に、必ずや家庭の団欒も得られ、争いのない社会国家、戦争のない所謂寂光土の実現に役立つのです』とありますが、こうゆう事が、市長選挙も布教も一つであり、政治と経済と宗教がこの事なのです。私達がどういった世直しの菩薩行をさせて頂くのかといったら、開祖さまがおっしゃって下さっているように、会員さんのお家を一軒残らず一家団欒、皆があったかい温かみの有る家庭になるように、先ず自分から言葉使い、態度、目付、顔付、鼻付それを相手がホッとするようなそうゆう自分を作るために磨きをかけなければなりません。

また無縁社会と言う言葉があります。これは現代社会における人間が作った造語で、今人間関係の中で何が求められるか・・・、結論としてこのご法話にあるわけなのです。幹部さんが班員や仲間を温かく導く事、その心が深く厚い事、人を心から思いやる、私を見てくれている人がいる、見守ってくれている人がいる、人の辛さを我が心として受け止める人になる、それが無言の温もりという意味をこのご法話から受け止めさせて頂きましょう。

『「この老婆が子や孫を慈しむように師匠が弟子をあたたかく導くこと、またその心が深く厚いこと」を老婆心と言います。』とあります。つまり今私達はこのお言葉を頂いて、開祖さま、会長先生が何時も老婆心を私達にかけて下さっていたんだなと思います。是非ひとつ相手の心を癒し、人とひととをつなぐ老婆心で全部繋がるように努力させて頂きましょう。私達はそういう明るくて、優しくて、温かな心くばりの出来る人を目指していますが、それには相手を思うと共に、その心情や立場をよく汲みとることが大切です。

最後に、本会の教会道場は、地域の人々の身が休まり、心も休まるオアシスをめざしているのですから、まずは教会に参拝する一人ひとりが思いやりのある人間にならせて頂きましょう。今市長選挙の時ですが、是非頼まれなくとも自分の事として見返りを求めないで、一生懸命その人のために努力する事が老婆心です。どうぞこれからの事も含め精一杯手取りをして、佼成会のパワーを発揮致しましょう。