お経巻の一番最初に会長先生が道場観を納めて下さいました。その道場観の意味は私達が人格完成成仏をさせて頂いて、家庭社会国家世界の平和境を作らせてもらうその為の生活の場所なんだと言う意味です。それが今月のご法話の大事なところこれです。
生活の場が道場と言う意味はお経にある人格完成成仏をさせて頂く自分、それから家庭社会国家世界を平和するのだ、そういう願いがある私達が唱えているのが道場観ですから、ご法の実践こそが大事で日常生活に生かす、信仰即生活という姿勢は、開祖さまの御指導、本会の特徴、いかに生きるか、いかに老いるか、いかに病気するか、いかに死ぬか、この事が大切なのです。
それで開祖さまはこの法華経は大衆の仏教、生活の仏教、実践の仏教、このように法華経を詠まれたわけです。だから学者になる為に法華経を頂いているわけではないのです。生き方を学ぶ、私達の場合は信仰即生活、生老病死を超えるために、この法華経を受け留めるのです。
朝、道場観を唱えると言う事は心構えを作る。日常散漫になりがちな時に道場観を唱えることで、心を引き締めて気持ちを引き締める。目指しているのは人格完成、家庭社会国家世界の平和境作ると言う、そのための今日の一日お役をさせて頂きましょうという心構えを作る道場観と言うふうに考えましょう。そして夜お経を上げさせて頂いたら、感謝を今日一日どうだったかなと反省、内省して明日に備えて休む。
「いま・ここ」「知は行の始め、行は知の成るなり」仏道を歩むことも同じ事で、実践がともなって始めて教えが生きるのです。教えを実践する場は、すべて道場と言えます。教会道場では、八正道や六波羅蜜の教えを学んだら、それを生活のなかに実践する事が大切で、家庭はもちろん学校も職場も、電車の中も買い物の途中も、食事に出かけるレストランも居酒屋も、私達の心を磨く道場となります。つまり身の置く処すべてが人格完成成仏をさせて頂く道場なんだ、そこで大切なのは「いま・ここ」の心の念です。いまこの場この事を、目の前の事を真剣に取り組んでいく。仮に何か問題が起きた時も いま・ここ の念で、全力で取り組む時に解決の道が開かれて行きます。迷いと言うものがあるから悟りと言うものが生まれる。だから場所だけ言っているんじゃなくって、あらゆることがらを道場として受け取るという意味なのです。嫌な事を言われた、その時にどう取るかです。あらゆる現象を通して自分が人格完成成仏をさせて行くと言う事を先生から教えてもらっているわけなのです。煩悩具足の人間として生まれてきたからには、根本の原因 これに気づく事が大事ですからこのようにすべての時と場所、そして物事が私達の心を磨く道場となっている。場所だけではないと言う事です。仏さまがいろんな現象を通して、私達が仏性満開になるように縁を与えて下さっているのだと、こんなふうに教えて下さっているのが今月です。今ここの念を忘れることなく仏教徒として、是非私達が読経の度に唱える 道場観、何時でも自分がいる所で全力を尽くしなさい、真心で尽くしなさい、という私達に対する仏さまからの慈悲の呼びかけと言えるのではないでしょうか。今月も真心込めて精進してまいりまいりましょう。