5月に吹く風と言えば若葉の香りを漂わせて吹く風、薫風という言葉を思い起こしますが、「青嵐」(せいらん あおあらし)という言葉もあります。それは青葉に吹き付け青葉を揺らして吹き渡る強い風のことを言うそうです。5月朔日…朝から「青嵐」が青葉を揺さぶっていました。
今月もコロナ禍ではありますが、三密を避けてのお手取り、電話やメール、手紙など絆を深める工夫を凝らして菩薩行させていただきたいと思います。
直子夫人の祥月命日にお供えされたクレマチス
教会玄関横に移植され大きく育ちました。
今年は花の数も多く大輪でみごとです。
5月 会長先生ご法話
「ていねいに暮らす」
分別をしない
私たちは、朝起きてから寝るまでのあいだ、その行動の多くを、知らずしらずのうちに「大事なことと、そうでないこと」に分けて暮らしているのではないでしょうか。「一大事と申すは、今日ただいまの心なり」と喝破したのは、正受老人の名で知られる禅僧の道鏡慧端ですが、朝起きて家族にあいさつをすることも、顔を洗うことも、そのあとでご供養をし、仕事に出かけて商談をすることも、一つ一つどれも「一大事」なのです。その行いに心を注ぎ、ていねいにとりくむことに変わりはないということです。ところが、それがなかなかできないのは、単に忙しいからというだけではなくて、私たちがものごとを「分別」しているからです。そもそも正受老人の「正受」は、「自分の考えを離れて一つのことに集中する」ことを意味する「サマーディ」(三昧)の漢訳ですから「今日ただいま」の行動に集中するには、自分の都合をいったん忘れることが大切なのです。
他者を思うことで
その場その場の所作や行動を、おのずからていねいなものにするにはどうしたらいいのでしょうか。
法華経の「妙音菩薩品」には、妙音菩薩が数多くの三昧を得たことが示されています。その三昧の根底には、どれにも菩薩の願いがあります。「縁のある人だけではなく、縁のない人まで救おう」「松明が周囲を照らすように、智慧の光で人びとを明るく照らそう」と精神を集中する、そういう三昧を得たというのです。つまり、近くにいるだれかの役に立ちたい、遠い国のだれかを喜ばせたいといった願いがあれば、洗顔一つにも心をこめるような、ていねいな生き方をせずにはいられなくなるということでしょう。何を見ても「麗しきかな」と受けとれる情感とともに、いつでも幸福感あふれる日々がそこにあります。
教会長さんより、
❖自分の都合で判断せず
「今日ただいま」の行動に集中する
❖今までの生活習慣に流されず
所作や行動をていねいな生き方に!
と、精進目標を示していただきました。
会長先生のご法話にありますように、「近くにいるだれかの役に立ちたい、遠い国のだれかを喜ばせたい」と願い、日常生活においてお陰さまの心で、自ら考え行動し、真理に従って精進させていただくことが大切だと思わせていただきました。
また、「正・五・九」とありますように、五月はお正月に立てた目標がどれくらい達成できているか、成果や反省点を確認して精進につなげていく月と教えて頂いています。成果と課題を通して自らの精進はどうであったか、自らの心の在り方はどうであったかを、深く内省して見つめ、さらに生活の中に仏さまの教えを生かすよう実践させていただき、九月(一年の流れの中にけじめをつける大切な月)に、有り難い結果がいただけますよう精進させて頂きます。
✿今年のゴールデンウイークはコロナウイルス緊急事態宣言が発令されて、家庭で過ごすことがほとんどとなりました。晴れの日は家の裏庭でそっとバーベキューをして、雨の日は和室で和食パーティーと称してお寿司をつまみました。かつて読んだ佼成新聞に「家族の絆は期間限定」。楽しくても、うっとうしくても必ず期間限定とありましたが、この家族の団らんも期間限定だと思うと、会長先生から教えて頂いています「ていねいに暮らす」生き方を心に据えて精進することが大切だと思わずにはいられませんでした。 合掌