3月 春を待ちわびた草木や花々

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今月は会長先生より

     「自他の幸せを願う心」と教えて頂きました。

 *「仏の子」だからこそ*

    仏の子という自覚をもって自他の幸せを願い思いやりを

 *生きた経典として*

    自分は未熟でも真理・気づきを素直に伝えましょう

    
と、教会長さんより今月の奉書のお言葉を頂きました。

 花井布教員さんの佼成会長法話かみしめでは、私たちはみんな自分、家族の幸せを願い他人の幸せを願う心を持ち合わせている→なぜなら、仏の子だから。

 少しでも「ものごとは変化してやまないのだ」とか、「みんな仏性のあらわれで、この世のすべてが大調和している」と気づいたならば、それは「仏の子」の自覚に違いなく、その人は自他の幸せを願い、周囲に幸せを運ぶ菩薩の一人といえるのです。

 仏の子の自覚を持って今日一日過ごす事が大事!そして人さまも「仏の子なんだ」「周囲に幸せを運ぶ菩薩さんなんだ」と見ていく大切さを教えて頂きました。

 教会長さんのお説法では、花井布教員さんが昔、何回お手取りに行っても「帰れ」「何しに来た」と言われ、それでも何十回も顔を見るだけでも行かせていただいてたある日、受け入れて下さったお話を通して、菩薩行の大切さをお話くださいました。

 菩薩行は難儀な事→→自分の思い通りにスムーズに行かないのは当たり前

           それをするから自分のアカが取れて行く

*見寶塔品第一の六難九易・三部経P223で法華経を説くことの難しさを色々な譬えによって説かれた。

 導き・手取りは難しいんだと自覚すること→ただ雨に濡れたら風邪をひくが、水行をしようと思って水をかぶるから風邪をひかない!


 バカになる→自分の才覚を捨て、法を信じて行じる!

     自分の考えを無くして教えの通りに行じる!


 相手が言う事を聞いてくれたからではなく、何回も自分が行かせて頂いてるその中に菩薩行の功徳があると教えて頂きました。

 日々、仏の子としての自覚を常に持ち、いつでもどこでも誰にでも相手を思いやる姿勢に徹し、自他に幸せを運ぶ生きた経典の役をさせて頂きたいと思います。        

                             合掌